佐賀県公立高校入試問題・中学歴史問題集
資料を参考にして,次の1〜5の各問いに答えなさい。
1 【資料1】は日本の産業革命期の貿易の輸出入を示したものである。【資料1】中の( a ),( b )の組合せとして正しいものを,次のア〜エの中から一つ選び,記号を書きなさい。
ア a−緑茶,b−石炭 イ a−生糸,b−綿糸 ウ a−綿糸,b−鉄類 エ a−生糸,b−綿花
2 日本は日露戦争後,韓国を併合し,朝鮮総督府をおいて支配した。【資料2】の右に見えるものは朝鮮総督府がおかれた建物である。こうした日本の植民地支配に対して,第一次世界大戦後の1919年に朝鮮でおきた民族運動を何というか,書きなさい。
3 【資料3】または【資料4】から読み取れることとして正しいものを,次のア〜エの中から一つ選び,記号を書きなさい。
(※【資料4】の中の「指数」とは基準年を100としたある時期の変動を表す数値である)
ア 第一次世界大戦中は,貿易の伸びはみられず,国内の景気はよくなかったといえる。
イ 第一次世界大戦後も,貿易の収支は一貫して安定した黒字であったことがわかる。
ウ 米価の動きをみると,第一次世界大戦中の米価は安定していたことがわかる。
エ 物価と賃金の関係をみると,第一次世界大戦がすすむにつれ,民衆の生活は苦しくなったといえる。
4 【資料5】以降の日本の動きやできごとを,古い順に並べたものとして正しいものを,次のア〜エの中から一つ選び,記号を書きなさい。
ア 満州事変 国家総動員法制定 東京大空襲 国際連盟脱退
イ 満州事変 国際連盟脱退 国家総動員法制定 東京大空襲
ウ 国家総動員法制定 満州事変 東京大空襲 国際連盟脱退
エ 国際連盟脱退 国家総動員法制定 満州事変 東京大空襲
5 【資料6】と【資料7】を参考に,第二次世界大戦後の日本の教育が,どのように変わったか,戦前の教育と比較しながら簡潔に書きなさい。
【資料6】(教育勅語の原文をわかりやすくし,一部を抜粋)
父母に孝行し,学問を修め,つねに帝国憲法を尊重し,万一の大事には一身を捧げて皇室国家のために尽くせ。ここに示した道は皇室と臣民がともに従い守るべきものである。
【資料7】(教育基本法前文の一部を抜粋)
われらは,個人の尊厳を重んじ,真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに,普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
解けましたか?それでは解答です。
1 イ 2 三・一独立運動 3 エ 4 イ 5 (例)忠君愛国の教育から個人尊重の教育に変わった。
1 1880年代末から,民間産業は,製糸業と綿糸紡績業を中心に急速に発展した。生糸の生産は,1880年から1900年までに4倍近くも増え,アメリカなどにさかんに輸出された。綿糸紡績部門では,1890年前後に大規模な工場で蒸気の力で動く機械を使って大量の綿糸が生産され日清戦争後には,清や朝鮮に輸出された。
2 1919年3月1日,ソウルなどの主な都市で朝鮮の独立をめざす人びとが,は朝鮮の独立を宣言した。独立運動は,朝鮮全土に広がり,200万人が参加し,多くの犠牲者を出しながらも3ヶ月にわたって続けられた(三・一独立運動)。
3 アについて,第一次世界大戦中,貿易は輸出・輸入ともに急激に伸びている(大戦景気)。 イについて,第一次世界大戦後の1920年の貿易では,輸入額が輸出額を上回り,赤字である。ウについて,第一次世界大戦中の米価は下降した後,上昇している。
4 満州事変は1931年,国際連盟脱退は1933年,国家総動員法制定は1938年,東京大空襲は1945年のできごとである。
5 戦後日本の民主化政策の1つ,「教育の自由主義化」を進めるため,1947年,教育基本法が制定され,1948年,国会は教育勅語の失効を決議した。