古典・古文の問題と口語訳(身の鏡)
善人のありて若き衆に、「学問をし給(たま)へ、学問は身のためによき事なり」といさむれども、愚かなる人のくせとして、「我らも(1)さやうに存ずれども、気(き)根(こん)弱き生まれつきにて、書にむかへば頭痛し、目が暗くなるによつて、命にかへて、学問はいらざる事と思ひ取り、いたづらに月日を送りはべるなり。いささか無(ぶ)心(こころ)がけにて申すにはあらず」などといふ人あり。もつとも気根の弱き生まれつきも、なきにはあらねども、過半は学問不(ぶ)好(す)きの人ならん。「それをいかに」といふに、気根の疲れて書にむかへば、目が暗くなるといふ人も、(2)歌舞伎、操りのざざめき立つる事は、何ほど見ても(3)気のつきたる色なし。かくのごとくある時は、我おもしろきと思ふ事に、気根の弱き人はなし。学問をするは、誰(たれ)人も始めよりおもしろき事はなけれども、いやなる事を少しの間こらへてみれば、後には書 にむかつて、聖人賢人の語の片端も眼力に及ぶ。さありて書にむかひ、おもしろき事、歌舞伎、操りよりは上ならん。気根の疲れたるといふ人も、頭痛、目まひ を、少しこらへて学問したらば、後には歌舞伎、操りよりはおもしろくなるべし。
わが幼少のころより、書にむかへば大あくびをし、頭痛するによつて、学問をば少しもせで、辻歌(つじうた)歌ふて、かなたこなたをゆらりざらりと歩きまはりて、いたづらをのみ尽くし、後には身のわざはひを仕出(しい)だして、人前に出ることもいと恥づかしかりしに、ある人我に教訓して、「ぜひとも学を心にかけよ」といはれしかども、頭痛、目まひがさし出(い)づるにより、しきりに学を辞退せしかども、「(4)学問ゆゑに死したらば、よしや思ひ出にせよ」といさめられ、そこにて我も(5)発心し、日夜、頭痛、目まひをこらへて書を見たりしに、昔に引きかへ頭痛もせず、今はまた(6)思ひ知る事万が一もはべるなり。わが身をもつて案ずるに、気根の弱きといふ人は学問不好きの人ならん。
(注) *善人=道理を知りよい行いをする人。
*くせ=悪い傾向。
*無心がけ=心がけの悪いこと。
*操り=人形浄瑠璃(じょうるり)。人形を使った演劇。
*ざざめき立つる事=にぎやかで騒がしい様子。
*眼力に及ぶ=理解できるようになる。
*辻歌=流行した歌。
*いたづらをのみ尽くし=遊びの限りをつくし。
*万が一もはべるなり=少しはございます。
〔問1〕 傍線部(1)「さやうに」が指している内容として最も適切なものを、次のア〜オのうちから一つ選び、記号で答えなさい。
ア 学問は世の中に役立つものである。
イ 学問はとてもおもしろいものである。
ウ 学問は自分のために大切なものである。
エ 学問は皆に勧めるべきすばらしいものである。
オ 学問は励まないと人から軽蔑(けいべつ)されるものである。
〔問2〕 傍線部(2)「歌舞伎、操り」はどのようなものの例として挙げられているか。最も適切なものを、次のア〜オのうちから一つ選び、記号で答えなさい。
ア 楽しくても役に立たないもの。
イ その楽しさに夢中になるもの。
ウ 初めは理解するのが難しいもの。
エ 結局は見向きもしなくなるもの。
オ 学問に疲れた心をいやしてくれるもの。
〔問3〕 傍線部(3)「気のつきたる色」の意味として最も適切なものを、次のア〜オのうちから一つ選び、記号で答えなさい。
ア 物事に集中している様子。
イ 心が落ち着いている様子。
ウ 配慮が行き届いている様子。
エ 新たな発見をしている様子。
オ 気力がなくなっている様子。
〔問4〕 傍線部(4)「学問ゆゑに死したらば、よしや思ひ出にせよ」とはどういうことか。その説明として最も適切なものを、次のア〜オのうちから一つ選び、記号で答えなさい。
ア 学問をして死ぬなら、それも本望だと思いなさい。
イ 学問をして死んでも、その成果を世に残しなさい。
ウ 学問が嫌で死ぬほどなら、新たな道を見つけなさい。
エ 学問に励むことで死ぬくらいなら、あきらめなさい。
オ 学問で苦しみ死にかけたことは、忘れてしまいなさい。
〔問5〕 傍線部(5)「発心し」とあるが、どのようなことを決意したのか。その内容として最も適切なものを、次のア〜オのうちから一つ選び、記号で答えなさい。
ア 学問に励むこと。
イ 病気とたたかうこと。
ウ 気の弱さを克服すること。
エ だらしない生活を改めること。
オ 世の人のために仏門に入ること。
〔問6〕 傍線部(6)「思ひ知る事」とあるが、何を「思ひ知る」のか。その内容として最も適切なものを、次のア〜オのうちから一つ選び、記号で答えなさい。
ア 人の温かい心。
イ 聖人賢人の言葉。
ウ 過去の怠惰な日々。
エ 自分の意志の弱さ。
オ 頭痛や目まいの原因。
解けましたか?それでは解答です。
〔問1〕 ウ 〔問2〕 イ 〔問3〕 オ 〔問4〕 ア 〔問5〕 ア 〔問6〕 イ
【現代語訳】
道理を知りよい行いをする人がいて、若い人たちに、「学問をしなさい、学問は自分自身のためによいことです」と忠告するけれども、愚かな人の悪い傾向として、「私たちもそのように思いますけれども、気力が弱いのが生まれつきで、書物に向かうと頭痛がし、目がくらむので、命とかえてまで、学問はいらないことであると思い、無駄に月日を送っているのでございます。少しも心がけが悪くて申しているのではありません」などと言う人がいる。もっとも生まれつき気力が弱いものも、いないわけではないけれども、ほとんどは学問が嫌いな人であろう。「それをどのように」というと、気力が疲れて書物に向かうと、目がくらむという人も、歌舞伎、人形浄瑠璃のにぎやかで騒がしい様子は、どれだけ見ても気力がなくなる様子はない。このようなことをしているときは、自分がおもしろいと思うことに、気力が弱くなる人はいない。学問をする人は、だれでも始めからおもしろいことはないけれども、嫌なことを少しの間我慢してみると、後には書物に向かって、聖人賢人の言葉のはしばしも理解できるようになる。そのようにして書物に向かうと、おもしろいことは、歌舞伎、人形浄瑠璃より上であろう。気力が疲れたという人も、頭痛、めまいを少しこらえて学問をしたならば、後には歌舞伎、人形浄瑠璃よりはおもしろくなるであろう。
私は幼少のころから、書物に向かうと大あくびをし、頭痛がするので、学問を少しもせずに、流行歌を歌って、あちらこちらをぶらぶらと歩き回って、遊びの限りをつくし、後には身に災難を作り出し、人前に出ることもたいへん恥ずかしかったところ、ある人が私に教えさとし、「ぜひとも学問を心がけなさい」と言われたけれども、頭痛、めまいがするので、しきりに学問することを辞退したけれども、「学問のために死んだなら、それも本望だと思いなさい」と忠告され、そこで私も心を改めて決心し、日夜、頭痛、めまいをこらえて書物を見たりしたところ、昔に比べて頭痛もせず、今はまた思い知ることが少しはございます。わが身をもって考えると、気力が弱いという人は学問が嫌いな人であろう。